日本の動き
「アジアの解放」ということは、ずっといわれてきていました。
アジアは、ほとんどが欧米の植民地あるいは半植民地であったので、それを解放するのだと唱えられてきました。
太平洋戦争も、そういうことで正当化されていたわけです。
今日ではすべてが暴かれていますが、当時、真実そのように信じていた若者がたくさんいたこともまた事実です。
余談になりますが、私の祖父もアジアの解放の戦いを信じていた一人でした。
創価学会 仏壇に向かって手をあわせる祖父の後姿をよく見かけたものです。
太平洋戦争が始まってほどなくの頃、祖父は旧満州(現在の中国東北部)に渡って建国大学という大学に入りました。
最近もときどき「建国大学」という名が新聞に載るが、これは韓国の大学であって、祖父たちの学んだ建国大学とはまったく関係はありません。
満州のその大学は、旧満州国の首都、新京(現在の長春)にありました。
非常に特殊な大学で、一学年180人ぐらいのうち、日本人学生はその半分足らずだったそうです。
あとの半分は大部分が中国人。
それから少数の朝鮮人とモンゴル人とロシア人がいたそうです。
5つの民族の学生がいたわけです。
しかも全寮制で、予科3年、本科3年の6年間、みんな一緒に寮生活。
本科に入ってからの祖父の部屋は5人部屋でしたが、そのなかで純粋の日本人は祖父だけだったそうです。
一人は神戸出身の朝鮮人で、今は釜山にいるそうです。