日本の動き 2
別の一人は中国人で、最近まで大連の水産大学の学長をしていたそうです。
もう一人はモンゴル人で、今は内蒙古自治区で学校の先生をしているようですが、連絡がとれず文通をしていません。
さらにもう一人はロシア人でした。
祖父はこのロシア人学生と一番親しかったそうですが、今、消息はわからないそうです。
死ぬまでにはなんとか一度会いたいと思っています。
彼がどこにいても私は出かけて行くつもりですが、生死のほどもわかりません。
当時のロシア人の友人で何人かは消息がわかったし、戦後会った人もいるのですが、彼だけはわからないのだそうです。
・・・もともと彼はハルピンにいましたが、ハルピンにいたロシア人は、ほとんどがオーストラリアかアメリカに渡ったそうで、少数の者がロシアに帰ったようです。
いろいろと随分探してみましたが、まったく消息がつかめないのです。
どこかで生きていてくれればよいが、といつも言っています。
とにかく、死ぬまでにはどうしても会いたい級友なのですね。
・・・この5人、みんな民族が違いますが、同じ生活をやっていたのです。