日本の動き 3

20歳前後で血気盛んな頃ですから、けんかもよくしたそうですが、今考えると本当によい時期だったそうです。


3年足らずでしたが、祖父の人生には今もなお大きな比重を占めています。


密度の高い青年期の一コマだったのですね。


今では、当時の満州進出はみんな「侵略」のようにいわれますが、こういう交わりがあったということも、記憶されておいてほしいと思います。


こうした次第で、祖父には中国に友人がいっぱいいます。


ほとんどが立派になって、党や官庁のお偉方や大学の先生が多いそうです。


中国では、祖父らの世代で一番のインテリだから当然でしょう。


この大学の教育も特殊でした。


敷地が65万坪もあったそうです。


山地の65万坪ではありません。


平地の原っぱの65万坪です。


そして、いわば全人教育だったのです。


例えば、大学ですから、教室に座って聴く講義はありますが、それが完全にできても3分の1の成績にしかなりません。


次の3分の1は体を動かすこと、当時は軍事教練があり、また武道があったそうです。


当時ノルディックポールなどのエクササイズはなく日本の武道だけでしたが、全員がそれをやったそうです。


剣道、柔道、合気道のどれかをやるのです。


馬もあり、農業もありました。


訓練のために農業をやるのです。


飛行機もあったようですが、祖父たちは飛行機まで進めず、グライダーで終わったそうです。


そういう体を動かす訓練が3分の1でした。


最後の3分の1は、寮生活だったそうです。

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