近代は「西洋の時代」 3

日露戦争の終結には、むしろロシア側にやむをえない事情がありました。


内乱が起こり始めており、当時日本のスパイもモスクワに入って、ひそかに革命運動を支援し、後方撹乱をしたわけです。


他方、あの頃、日本は非常に多くアメリカの援助を受けていました。


日本の軍隊のなかにはアメリカの将校もいました。


・・・のちに日本占領軍の最高司令官になったマッカーサーもその一人で、当時の日本の軍隊での見聞が、彼の日本占領政策を方向づけたともいわれています。


こうした彼我の状況のなかで、奉天までが精いっぱいの日本は講和の仲介をアメリカに依頼し、アメリカが仲介役となってポーツマスで講和条約が結ばれたのです。


そういう形でやっと日露戦争が終わりました。


・・・しかし、それにしても、有色人種が白人と戦って勝利をおさめたということは、特記すべき歴史的事件でした。


日露戦争は20世紀の初め、1905年に終わりましたが、それまでどんどん世界に伸びていた白人勢力が、ここで一頓挫を来たすことになりました。


しかし、その後の日本の歩み・・・


ことに第一次大戦以降のわけても大陸に対する日本の行動は、大変に残念な動きをしたのです。

近代は「西洋の時代」 2

例えば、日本でも明治維新以来、近代化は西洋化でした。


文明開化だといって鹿鳴館で洋装をしてダンスを踊り、留学するといえばみなヨーロッパへ行きました。


戦後はアメリカに多く行くようになりましたが、ともあれ、そのようにして明治維新以後、西洋の文物を取り入れて日本は近代化したのです。


・・・しかし、こういう時代が今、大きくゆらいでいます。


これは世界史的に見てきわめて重要なことです。


世界史に日本の果たした役割も非常に大きいものでした。


ヨーロッパがどんどん世界に支配力を広げていたその勢いに、最初のつまずきを与えたものは日露戦争(1904~5年)でした。


もっとも、日露戦争は日本が勝ったといっても、実力では到底及ばない戦いでした。


奉天(今の藩陽)まで攻めていったといっても旧満州の南半分に過ぎず、シベリアまではだいぶん距離があり、モスクワまでとなると気が遠くなるほどの距離があります。


・・・そこまで行く力など、当時の日本には思いも及ばないことでした。

近代は「西洋の時代」

ポルトガルの船が日本に入ってくるようになったあの頃から、西洋が支配力をもってきました。


そして、この方向を不動のものにするのは産業革命です。


産業革命を真っ先にやったイギリスは、一国で世界の4分の1を領有するまでになりました。


私が小学校の頃、世界地図が教壇に貼られており、いやでも目についたのを思い出します。


日本は真っ赤、イギリスは桃色に塗ってあり、それが世界のほとんど4分の1から3分の1の面積を占めていました。


南アフリカ、北アフリカ(エジプト)、中近東、インド、マレー半島、オーストラリア、カナダが桃色でした。


19世紀はユニオンジャックが世界の津々浦々にひるがえった時代でした。


それが第一次、第二次大戦を通して今日ではすっかり様変わりをしたのです。


しかし、イギリスに代わって今度はアメリカが登場し、戦後の世界を支配してきました。


・・・そういうわけで、ずっと今日まで欧米が支配してきたわけで、これが近代の特徴だったといえるでしょう。


ですから、近代化ということは西洋化とほとんど同じでした。

自由主義と社会主義 4

西側の混合体制とはもちろん性格が違うが、共産圏でも今日では、たんなる中央計画、中央管理ではなく、市場経済や自由競争の要素がますます多く組み入れられているわけです。


西側自由諸国とはいわば逆の方向で混合体制化が進んでいるといっていいでしょう。


このように見てくると、西でも東でも、近代に力をもってきた一元的な社会体制は、今日では大きく崩れてきているということが明らかになります。


個人と全体、自由と統制、市場と計画の両極端から、社会体制はいずれも混合化の方向をとっていることが知られます。


これらは当然、生協のあり方と関係があります。


生協は本来、個人主義とも全体主義とも相容れない性格をもっているからです。


近代を特徴づけてきた第三の点として、国際関係に注目してみましょう。


最も特徴的なこととして、近代という時代は西洋が世界を支配してきた時代、西洋の世界支配の時代だったといっていいでしょう。


あの新大陸発見の時代(15~6世紀)から西洋が優勢になってきました。


日本でいうと戦国時代です。


自由主義と社会主義 3

企業が一定の資本と労働力を持ち、それによってものを作って一定のものを納めます。


しかし、それ以上にできた場合は、それを自由に市場で売ってもよいというわけです。


これは明らかに自由化です。


最近では、私的な個人経営から、かなりの人を雇用する私営企業が許され、国営事業の株式会社化も始まっています。


さらに、これと結んで労働市場ができ、証券市場ができます。


土地の使用権にかんして土地市場も生まれ始めています。


他方、そのころ、ソ連の方でも、1985年にゴルバチョフ政権になって以来、自由化の新しい波が高まっていました。


ペレストロイカ(建て直し、改革)やグラスノスチ(公開)の旗印のもとに、このところ自由化や民主化の動きが活発です。


このように自由化が進んでいったから、中国は1980年前後からですが、ソ連圏ではだいたい1960年前後から、スターリン体制に代表されたような全面集権的な社会主義は崩れてきました。石塚孝一氏によると、フルシチョフによる公式のスターリン批判そのものは、1956年にさかのぼります。


・・・ともあれ、こうして共産圏でも、国によって多少の前後はありますが、社会体制は一種のソ混合体制に向かうことになります。

自由主義と社会主義 2

みんなが共同でやり、同じように食事をとるのなら、人間はできるだけサボろうとして、結果としては能率が上がりません。


中国ではそうしたやり方を、大きな鍋の飯を一緒に食うやり方、「吃大鍋飯」として批判されるようになってきました。


そこで、各家が請け負うやり方が考えられたのです。


一種の請負制です。


一定の土地の耕作を請け負ってものを作り、一定のものを納めなければなりませんが、それ以上に残ったものは自分で自由に処理をしてもいいというわけです。


・・・これは、昔の地主と小作の関係、小作が地主の土地を借り一定の小作料を払ってあとは自分が自由にできるのと似ています。


ただ、地主が国家だという点が決定的に違うが、ともあれ、これによって能率が非常に上がってきました。


このようなことはわかりきったことで、やればやるだけ剰余が出て、それが自分のものになるとすれば、能率は上がるはずです。


「萬元戸」という大変な金持ちの農家が出てきたのもそのためです。


ここに当然、所得格差が出てくるが、それは競争をすれば必然的に出てくることで、ある程度は仕方がないことです。


しかし、これによって非常に農業の能率が上がったため、それを工業にも適用していきました。

自由主義と社会主義

工場に非常に優れた機械を入れても、他が全体的に上がっていかないと近代化はできません。


ですから、調整をしなければなりません。


あるいは、ある部分だけ、例えば鉄鋼にかんしてだけ近代化しようとしても、遅れた関連諸部門に足を引っぱられて無理になります。


あるいはまた、成長を急いで大いにカネを使うと、財政が破綻したり、インフレになったりします。


そこで調整が必要になります。


そうした意味の調整です。


ですから、積極的な意味では重要なのは改革なのです。


この改革の名の下に中国が進めている最も重要な方向は、生産責任制の導入です。


生産責任制は農業から始まりました。


中国では革命後、土地は全部国有化し、人民公社を作って各農村が一つの共産共営集団になっていました。


公社はいくつかの生産隊に分かれ、農作業はみな共同でやり、最初は食事も共同でしていました。


ところが、これでは、当然能率が上がりません。

沖縄の怪奇物語

沖縄ツアーで人気のある沖縄に昔から伝わる民話、「鮫どんとキジムナー」です。


あるところに鮫どんという釣り好きの男がいました。


釣りのうまい鮫どんの元にある夜、なぞの小柄な男がやってきて、大量の魚を釣ってそれを鮫どんにわたしていきます。


なぜ漁をするのか、しなくてはいられないのか、よくわからないのですが、あの小柄な男は毎晩のように鮫どんが漁する場所にあらわれました。


前の日に「明日はどこへ」といわなくても、不意に漁場をかえることがあっても、いつもふっと気配がすると、そこに小柄な男の細い影がありました。


鮫どんは、すっかり漁の呼吸を覚えた小柄な男と、肩を並べて魚を釣りました。


こちらがしたいと思うことをすぐわかってくれ、うまく助けてくれる得難い友人を得たのです。


こんなにぴったり呼吸の合う人はめったにいません。


日がたち、月がかわるにつれて、二人はむつまじくなり、何でも話し合える間柄になりました。


ところが、鮫どんが何度たずねても、男はその名や住まいを明かしません。


ただ、透き通るような声で笑うだけです。


鮫どんは「ふしぎだな。そういえば何も彼も」と思いだしました。


ふつうの男の声とはまるっきりちがう風のような声、見る角度によってはまだ十代の若さにみえるかと思うと、白髪にふさわしい老人の表情にも見える顔、影のような姿はすばやく動くのに男の足音を聞いた覚えがありません。


「あ、あの男はひょっとしたら人間ではなくて鬼かもしれない。


魔物が人の形になっているのかもしれない。


このまま長くつき合っていたら、どんな危害をうけるかわからないぞ」


ぞおっと総毛だった鮫どんは、とうとう心を決めて、漁が終って男の帰ってゆくあとを、そっとつけてゆきました・・・。


働く女性のキャリアプラン

結婚した場合、日本の民法では「夫または妻の姓を名のる」と夫婦同姓を定めていますが、それに反対し、「夫婦別姓」のために民法改正を求める運動もあります。


その運動は、成功するとしても長い年数を要するでしょうが、ビジネスウーマンのなかには、職場では「通称としての旧姓」のまま働きたい、という人が少なくないのです。


旧姓でつくり育ててきた人間関係などを大切にしたい、という主張には共感できますが、「通称旧姓」のまま出産し、保育所などから「新姓」での電話連絡があったりして、職場で「誰のことか」と混乱した例もあります。


離婚数は、過去十年ほど急増した後、いわば「伸びどまり」状況にありますが、今後の成り行きは予断できません。


キャリアウーマンでは結婚していない人の比率が高いといわれていますが、そのなかには「離婚した人」もふくまれているのです。


平均年齢前後で結婚する場合でも、出産・育児プランと、職場におけるキャリアプランとは、微妙な関係にあります。


事例的には、およそ次のように3つくらいのグループに分かれています。


1.キャリア優先、高齢出産型のグループ


弁護士・医師など資格をとるのに年数がかかる専門職を筆頭に、ふつうのビジネスウーマンでも職業的なキャリアを優先させたほうが「出産休暇後の社会復帰」に有利だと考える人の場合、近年の医学の進歩にも期待をかけて、高齢出産を選ぶ例が増えています。


2.出産・育児優先型のグループ


産前産後の休暇、あるいは育児休職などの制度が定着し、職場に戻れば職業キャリアが継続できるという条件がある場合には、出産・育児を優先させるのも当然でしょう。


今後は、こうした条件づくりが進み、定着する職場が増えることでしょう。


3.ケース・バイ・ケースのグループ


親と同居中であるとか、零歳児保育の引き受け手があるなど、個別の条件により、出産・育児プランと、職場におけるキャリアプランが、あまり矛盾しないという場合です。


派遣 千葉などで働く女性たちはどのグループでしょうか。

リサイクルしたい消費者

こんにちは。


今日は、ごみやリサイクル問題をめぐる消費者と企業の関係について書こうと思います。


最近、消費者関連、環境問題関連の部課を設ける企業が増えているようです。


しかしそうした部課は、生産部門や営業部門に対しては力関係の面ではるかに劣勢です。


いまでもこのような部課が消費者の苦情処理の窓口程度にしか位置づけられていない例も少なくないようです。


これは非常に残念なことですね。


こうした状態では、消費者関連部課や環境関連部課が従来の社の方針とは異なった提案を行い、それを社の意思決定(ポリシー・メイキング)につなげていくには、生産部門や営業部門からの強い反発を覚悟しなければならないはずです。


このようなハードルを越えるには、劣勢ながらもこうした"内なるたたかい"に挑もうとする当該部課の社員の意気込みが何よりも必要です。


それと同時に、消費者団体やマスコミ、それに行政当局といった外からの声や圧力、働きかけなども、少数精力の彼らにとっては力強い味方となるものでしょう。


わたしたち消費者も、リサイクルトナーなどを積極的に利用して、一緒にがんばっていきたいものです。